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洪鐘と白鷺池・・・鎌倉円覚寺  

xvGTjnRsx7n0oI91424242610_1424242628.jpg洪鐘
洪鐘(おおがね)は、1301年(正安三年)に鋳造された国宝の洪鐘(おおがね)です。
北条時宗の子、貞時公が国家安泰を祈願して鐘の鋳造を鋳物師に命じましたが、鋳造がまくゆかず、江の島の弁天さまに七日間参詣したところ、ある夜の夢の中で円覚寺の白鷺池の底を掘って見よというお告げがあり、その通りにしてみると池の底より龍頭形の金銅の塊を発見、それを鋳造してこの洪鐘を造ったといわれています。
YEEmEzec4euLd9C1424242683_1424242693.jpg円覚寺総門前の白鷺池
この霊験に感激された貞時公は江の島の弁天様を洪鐘の神体として「洪鐘大弁才功徳尊天」と名づけて弁天堂を建立しました。
cPjGEz2DuIFjj651424242739_1424242753.jpg弁天堂
出典 円覚寺洪鐘案内板





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魔物の餌食から救ったお地蔵さま  

目立たないところにあります
このお地蔵の左下にちいさな川がながれていますが、昔、ここは魔の淵と呼ばれ、狭いながらも青黒い水がとうとうと流れていて、たくさんの尊い人命が、ここに住む魔物の餌食になったそうです。
杉本寺の住職の発願で、大正年間にこのお地蔵様が安置され、それからあまり不気味な話は聞かなくなったということです。ここを地蔵公園と呼んでいました。
土地の人の話によると「この辺り一帯は昔から祟り(たたり)があって、畑にしても作り手がいない。ここを耕作すると必ず病気になったり、時には死ぬようなことがあって、この土地は買う人さえいなかった。」と云うことです。
なお。ここは昔、鎌倉の染谷太郎太夫時忠の娘がわしにさらわれた時、その血のしたたりが落ちた所だともいいます。
出典 かまくら子ども風土記
7IsobyAYrs0wk_31424081545_1424081561.jpgお地蔵さま

お口なおしに、鎌倉八幡宮の「ぼたん」をどうぞIJmQtxJuI4EGmqJ1424081606_1424081621.jpg
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鎌倉駅5バス乗り場から、鎌倉宮行に乗車、岐れ道(わかれみち)下車徒歩3分




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月影地蔵・・・・極楽寺  

月影地蔵

GqY_oC8wr71Tum91423908745_1423908757.jpg月影地蔵尊

6GgMqR_78P31eie1423908824_1423908836.jpg境内のコケむした地蔵

この月影地蔵は、今は稲村ガ崎小学校の裏にありますが、もとは月影ヶ谷にあったものです。いつ頃か極楽寺の奥の西ヶ谷に移りました、しかし、本尊は何回かの火事で焼けてしまって、今の本尊はそんなに古い時代のものではないと土地の人は言っています。




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導き地蔵(極楽寺地蔵)  

導き地蔵(極楽寺地蔵

江ノ電を極楽寺駅で下車し、極楽寺に向かう途中の赤い橋の袂にあります。
導き地蔵というのは、子供たちを守り育ててくれるという意味のものです。
この地蔵の視野の中に入る場所では災難が起きないと言い伝えられています。
出典 かまくら子ども風土記

prxKVuohyT0ak0j1423738576_1423738591.jpgお地蔵さま





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涙ながらに奥方の手紙を俊基へ・・・葛原岡神社  

葛原岡神社鳥居
化粧坂(けわいざか)を登ると源氏山公園とも呼ばれる葛原岡(くずはらがおか)に出ます。昔刑場だったところで、ここに日野俊基を祀った葛原岡神社があります。
この葛原岡で切られることになったことを知った俊基の妻はそれを悲しんで、家来の後藤左衛門尉助光(ごとうさえもんのじょうすけみつ)手紙を持たせ、密かに鎌倉へよこしました。
助光は鎌倉に着いてなんとかして主人俊基に会って手紙を渡そうとしましたが、幕府の警戒がきびしく、その願いはなかなか果たされませんでした。
翌年の六月三日、いよいよ切られることになり、俊基の乗り物が化粧坂にさしかかったとき、、助光は乗り物近くに駆け寄り、警護の侍に「主人に一目会わせてください。」と涙ながらに願いでました。その真心に動かされて、武士たちはこの助光の願いを許しました。そこで助光は俊基に妻からの手紙を渡すことができたといいます。
 秋をまたで 葛原岡に 消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらん
という歌を残して、俊基はついにこの丘の露と消えました。→ 俊基の墓へリンクします。
翌元弘三年(1333)五月二十二日には、新田義貞の大軍がこの丘を突破して鎌倉に攻め込んで鎌倉を倒しました。
出典 かまくら子ども風土記
OOHG4hEB7LtD6cN1423563873_1423563888.jpg葛腹岡神社本殿

GIbPG5dd6rg5rRV1423563933_1423563948.jpgこの石塔のところで切られた石塔は、本殿に向かって左側隅にあります。

5Ty4FBIA7McsDZ81423563994_1423564002.jpg良縁を結ぶ男石(右)と女石(左

mVkddCigQ6g_5oE1423564049_1423564065.jpgファー・・・一服してぇなあ、灰皿もあるし





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