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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年02月10日
2013年02月の記事一覧

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異郷の地で・・・西徳寺(2)  

江戸防備につくした会津藩士の墓

会津藩士の墓
日本の沿岸に異国船が相次いで姿を現すようになりました。
毎日のように各地から早馬が江戸城目指して駆け上がります。
民衆の心も不安に揺れ動いてきました。
文化7年(1810)2月26日、幕府は外国船の来航に備え、台場の建造を白川藩と会津藩に命じます
民衆の不安を取り除くことも狙いの一つでした。
白河藩は千葉沿岸を、会津藩は三浦半島沿岸を警備することになりました。
会津藩は走水、浦賀、城ヶ島の三ヶ所に台場を造ると同時に、浦賀の観音崎と平根山、それに三崎の北条山に陣屋を設けて外国船に備えました。
会津からはるばるとこの見知らぬ任地に大勢の武士がやってきました。
ある者は単身で、またある者は家族を引き連れて任務に就きました。
それらの人々の子弟を教育するため、三崎に集義館を、観音崎に養成館という藩の学校を建てました。
養成館には約40名の生徒がいたと記録されています。
文政3(1820)12月28日沿岸警備の任務が会津藩から浦賀奉行に移りました。
しかしその10年間に病没した藩士やその家族48名が走水の円照寺(日蓮宗)、鴨居地区の腰越墓地、能満寺(曹洞宗)や、この西徳寺(浄土宗)の墓地に葬られました。厳しい生活であったことがうかがえます。



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category: 横須賀市

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戦勝祈願のお地蔵さん・・・西徳寺(1)   

2013021007.jpg東光山無量寿院西徳寺
鎌倉の光明寺の末寺として、永禄3(1560)法誉順性上人により開かれました。
当時真言宗の源徳寺、浄土真宗の無量庵、浄土宗の東光寺及び寿経寺の四ヶ寺を併合し、東光山無量寿院西徳寺と改められました。
境内には、三浦一族の武将和田義盛が出陣に際し戦勝を祈願したと伝えられる「和田地蔵」が祀られています。
裏山には、義盛の剃刀塚や幕末末期に江戸湾防備のためにこの知に来た会津藩士の墓があります。

和田地蔵

和田地蔵のいわれについては下の和田地蔵をクリックしてください
和田地蔵





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わが国最初の洋式灯台・・・観音崎灯台  

2013021004.jpg現在の観音崎灯台(現在は3代目)

初代の灯台
この灯台は、慶応2(1866)の江戸条約に基づき明治政府の依頼により、明治元年(1868)にフランス人ヴェルニーの手により起工されたもので、三浦半島の東端に位置します。当時の建物はフランス風の四角い洋館建て(レンガ造り)の優雅なもので、開国後日本で一番最初に建設された洋式灯台であり、わが国の近代灯台事業がここに始まったとされています。現在の灯台は大正14年(1925)に建て替えられ(コンクリート造り)三代目に当たります。
観音崎は、房総半島の富津岬(ふっつみさき)と相対し、東京湾口の最も狭い水道を形成しており、灯台は船が安全に航行するための大切な施設です。
(海上保安庁 燈光会)

灯台から見た東京湾

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住職は代々曽我兄弟十郎の子孫なり・・・乗誓寺  

2013021001.jpg東教山乗誓寺
当山の開基は平塚入道了源なり。
了減は藤原鎌足18代の裔伊藤祐親の末孫曽我十郎祐成の子、母は多いその虎御前なり。河津三郎信之と称し童名を祐若と呼ぶ。
信之は源実朝に仕えて武功多く、恩賞として平塚の庄を賜り、積年の仇敵に感ずる処ありて、親鸞聖人の教えを受け出家し、了源と名乗り後、関東六老僧の第二座に列す
安貞元年(1227)平塚に一宇を建て阿弥陀寺と称し、親鸞聖人真筆の十字尊号を以って本尊とす。
爾来歴代相続後、文明元年(1469)比叡山の衆徒による京都西本願寺大谷祖廟の破却を知り、当寺住職空淨は碩学の聞こえ高かりしのため、平塚を逃れ当地浦賀に一宇を建て阿弥陀寺の本尊を移す。
その後歳月を経て、元和元年(1615)空覚代に再興す。寛永14(1637)良如上人御巡教の折、東教山阿弥陀院乗誓寺と賜る。
文化年中(1804)第9世勧善代、法議繁昌し、当寺中興の祖とす。
大正12年関東大震災により大本堂、庫裏、鐘楼堂等倒壊せしも、昭和50年本堂を再建、同59年庫裏、鐘楼堂を建立す。
なお、当寺の歴代住職は世襲制により、脈々と継承され、曽我兄弟十郎の子孫なり。

絹本著色阿弥陀如来像
横須賀市指定重要文化財
本画像は浄土真宗形式の阿弥陀如来画像で、方便法身尊像(ほうべんほっしんそんぞう)と通称されるものです。
画面は少々損耗していますが、像容に大きな改変形跡はなく、ほぼ当初の姿を伝えています。
肉身には金泥を塗り、面貌、手足の輪郭を細線で丁寧に画き、その画技は秀逸です。
また衣の線や文様に銀泥を用いているのは本画像の特色で落ち着いた趣に仕上がっています。
画風から室町時代初期の制作と推測され、浄土真宗形式による阿弥陀如来画像の早い時期の作例ととして注目されるとともに、横須賀市域に遺るところの少ない中世絵画として貴重です(横須賀市教育委員会)

樹齢500年の銀杏
本願寺第八代蓮如上人の御手植えの銀杏の木
蓮如上人は中世(文明年中1469)の、歴史に残る北陸一向一揆の時代に西本願寺門徒となり、北陸の領主に対し、民衆抑圧をいさめ争い無きよう導かれたが、やむなく戦乱となる。
その後上人は幾多の労苦を重ねながら諸国を巡り、門信徒の教化に努め本願寺の中興の祖と言われている。
この蓮如上人は、この浦賀の地にも御巡教にこられ、この銀杏の木を御手植えされた。




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