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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年04月13日
2013年04月の記事一覧

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安房崎と州の御前  

2013041341.jpg今では古い祠だけが残る州の御前
林の奥に石祠
州の御前  
州の御前前の安房崎灯台

安房の国といえば当地より望見する南房総(千葉県南部)一帯をいいますが、その安房に向く岬という意味から安房崎の名がついたと云われています。
海のかなたにあこがれる人の心は昔も今も変わりはありませんが、往時この岬に立って海越しに安房の国を眺めた人の想いはどのようであったでしょう。
州の御前社は、三崎の海南神社の祭神藤原資盈の家臣四郎を祀ったといわれていますが、この祭神石を噛み砕き、鉄を爪で切るほどの勇猛大剛なので始め州荒御前と称したといわれます。
境内には源頼朝が州の御前社参詣の折に催した宴に使った楊枝を挿したのが育って、周囲3m余にもなった「びゃくーん」の大樹がありましたが、貞享3年(1686)4月①大風の日、自然発火して焼失したと伝えられています。
安房崎の「はな」は海中に突出した磯のため浅瀬が多く、航行する船舶の難所であったため、昭和37年現在ある白亜のスマートな無人灯台が設置されました。
三浦市

①この頃の時代背景
•1684(貞享1)年:大老堀田正俊が江戸城中で若年寄稲葉正休に刺殺される。
•1685(貞享2)年:将軍綱吉が最初の生類憐みの令を出す。
•1686(貞享3)年:熊沢藩主の『大学或問』ができる。
•1686(貞享3)年:井原西鶴の『好色五人女』が発刊される。
•1687(貞享4)年:東山天皇即位。



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楊枝を挿したら大木に・・・常光寺  

常光寺本堂
城島山常光寺
浄土真宗本願寺派 三崎最福寺の末寺

ここはもと阿弥陀堂跡で天正元年①僧了善が一寺を建立し開基と伝えられている。
享保9年②正木左近太夫が現在地に房総の里見軍を率い、布陣した跡で、当時の名主飯島久右衛門が三崎窪村の大工六次郎に依頼し堂宇を造営したという。
昭和11年の城ヶ島大火により焼失したが、昭和28年に再建された
出典 「三浦半島の古刹めぐり」 松浦豊著

今から800年も前のある日、頼朝は多勢の武将とともに風光明媚な三浦三崎にやってきた。
そのとき頼朝は「今日は良い天気ゆえ、島に渡って酒宴を開けるようととのえよ」と家来に命令した。
島に渡った一行は、安房の国(千葉県)に向かって長くのびた安房の洲崎の午前とよばれる地で宴を開いたが、そのとき頼朝が楊枝を土に挿すとこの楊枝が幾日かたって芽をふき、枝葉wだして大きな柏槇に成長した。
やがてその木は人がかかえられないほど立派なものになったので、三浦の五名木の一つに数えられるようにさえなり、いつでも近郷の人々の話題になるほどだった。
ところが貞享3年4月に「たつみの大風」が吹いて、老木の洞穴より自然に火が出て炎上し、ついに由緒ある名木も枯れてしまったのである。名木が遺したものは無残な巨幹だけだった。
ところが、名木は枯れても名木である。
やがてこの柏槇をけずって煎じて飲めば「絶対に風邪をひかない」とか「風邪がなおる」といううわさが村から村へつたわると、近在の村人達によってだんだんけずりとられ、もちかえられてさすがの名木もしだいにほそくなった。そこで一時は島の海南神社に置いてあったのだが、常光寺の本堂の脇に保存するようにした。
しかし昭和11年の大火で柏槇は本堂と一緒に焼失してしまい、長い間語り伝えられた名木もこんどは影をもとどめなくなってしまったのである。
出典 「三浦半島の伝説」 田辺 悟著

①この頃の時代背景
•1573(天正1)年:織田信長、足利義昭を京都から追放。室町幕府滅亡。
•1573(天正1)年:信長が浅井・朝倉氏を滅ぼす。
②この頃の時代背景
•1721(享保6)年:評定所門前に目安箱を置き、庶民の声を聞く。
•1721(享保6)年:小石川薬園を江戸に作る。
•1723(享保8)年:情死の罰則を定め、歌舞伎・浄瑠璃の心中物の上演を禁止する。
•1723(享保8)年:足高の制を定める。
•1723年:清がキリスト教を禁止する。
•1726(享保11)年:美作国津山藩の農民が一揆をおこす(山中一揆)。



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雨はふるふる 城ヶ島の磯に・・・・  


雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ


『城ヶ島の雨』歌碑
『城ヶ島の雨』譜碑『城ヶ島の雨』は、白秋が三崎滞在中の1913年に演出家島村抱月の依頼で作られた。島村は自身の主宰する芸術座の音楽会で発表するオリジナル曲のために白秋に作詞を依頼、作詞後すぐに梁田貞によって曲が付けられ、1913年10月30日、東京有楽座にて梁田自身の独唱(ピアノ:松平信博)で発表された。附曲された白秋の詩としては第一号である。城ヶ島や三崎の風情を詠っており、奥田良三が吹き込んだレコードが全国的にヒットすると、城ヶ島はロマンの島として全国に知られることとなり、憧れを抱いた若い男女が大勢来訪した。附曲した作曲家としては梁田の他に山田耕作(1923年)、橋本國彦(1928年)がいる。また、1950年と1959年には同名の映画も作られた。

歌碑の上を通るのは「城ヶ島大橋」
歌碑には「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる」の歌詞が刻まれています。



この記念館では常時「城ヶ島の歌」が流されている。



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水っ垂れ  



鎌倉幕府の昔、征夷大将軍源頼朝は、三浦三崎の風光を賞でて、しばしば来遊しました。三浦市内に桜・桃・椿の三御所(別荘)を設けたり、船を浮かべて歌舞音曲の宴をしたといわれています。
とくにこの地は清冽な清水の湧くところであったので、頼朝はこの水を煎茶や硯の水に使用したという伝説があります。
その当時はおそらくもっと湧いていたものと思われますが、今でもどんな日照りであっても、この水は涸れたことはないそうです。
土地の人は訛って「みずったれ」「みそったれ」と呼んでいます。
三浦市



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古老の夢枕に「元に戻りたい」・・・原稲荷社  

2013041304.jpg稲荷社本殿
三浦市原区の氏神さまとして古より住民の深く信仰するところであるが、その創立は江戸時代ともまたはそれ以前とも云われているが定かではない。唯境内に奉納されている眷属(御狐様)には、元治元年(1864)①年を刻みこまれた年号を読み取ることが出来る。
祭神は「宇迦之御魂大神」「須佐之男命」の二柱を祀る。
三浦市郷社海難神社との所縁は遠く貞観6(864)②ごろ、藤原資盈(すけみち)、盈渡姫と家臣が三崎に漂着したとき、海岸に藻を拾いに来ていた原部落の者が藤原資盈主従を助けて案内したという故事があったことから、海南神社の祭礼には原区の氏子が雨の面、風の面をかぶって神輿渡御の道案内の先頭に立つ「謂われ」だと伝えられている。
「黒塗りが雨の面、朱塗りが風の面」・・・三崎郷土史参考
明治42年3月12日政令により、郷社海南神社に合祀されていたが、ある日稲荷大明神が原区の古老の夢枕に立たれ、「原のお社に帰りたい」旨のお告げがあったということで、昭和27年区民の総意によってもとの境内地に再建された。
例祭日は9月第1日曜日に海南神社宮司によって祭詞奏上が行われ、原区芸能保存会の祭り囃子の和太鼓、獅子舞が奉納される。
四年毎の大祭には神輿山車が区内を練り歩き、各所で祭詞奏上と獅子舞を舞いながら家内安全五穀豊穣商売繁盛の祈願を行う。
原稲荷神社社務所
  
高さ53センチ 長さ34センチ 幅16センチ
元治元年

  
高さ46センチ 長さ30センチ 幅16センチ
昭和46年作
①この頃の時代背景
•1864(元治1)年6月:池田屋事件が起こる。
•1864(元治1)年7月:長州藩が京都を攻めて禁門の変が起こる。
•1864(元治1)年8月:将軍家茂が長州征伐を命令する(第一次長州征伐)。
•1864(元治1)年8月:四国艦隊が下関を攻撃する。
②この頃の時代背景
•858(天安2)年:清和天皇即位。藤原良房が皇族以外で初めて摂政となる。
•866(貞観8)年:応天門炎上。この事件で伴善男が罰せられる(応天門の変)。
•873(貞観15)年:皇子・皇女に源の姓を与える(清和源氏)。



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地図番号① 円通山蓮乗軒
地図番号② 原稲荷神社
京急三崎口駅から原稲荷社まで距離約4.5キロ

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慈悲妖艶如意輪観音・・・蓮乗軒  

2013041301.jpg本堂
六地蔵
三浦観音第3札所
「里をすぎ 野をすぎ原の観世音 導き給え 遠き来世を」
円通山蓮乗軒(寺)といい、向ヶ崎椿の御所大椿寺の末寺で、開基は三浦道寸義同の家臣川島吉隆で、中興開山は東端と伝えられている。
堂内正面には恵心作という本尊の如意輪観音菩薩半跏像が安置されている。
像高は28センチ寄木造り玉眼嵌入(かんにゅう)の像で全体は古色におおわれ黒ずんでいるが、豊麗なお顔は慈悲妖艶を秘めて美しい。
いささか前向きにした容姿と頭部を僅かに右に傾けた思惟相はとりもなおさず考える形を現している。
そして右手は軽く頬にそえ、左手は膝の外にのばして地に触れる触地印をとっている。そして複雑な大臂は蓮華、宝珠、金輪、数珠を持ち、破綻なく自然にのびたその姿態は実に美しく天女の妙音ここに極まりといった漢字である。
出典 「三浦半島の古刹めぐり」 松浦豊著

土地の人たちは「安産の神様」として尊んでいます。
三浦市
畑の真ん中から頭を出す本堂の屋根


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地図番号① 円通山蓮乗軒
地図番号② 原稲荷神社
京急三崎口駅から原稲荷社まで距離約4.5キロ

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