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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年04月26日
2013年04月の記事一覧

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哀れな六部  


まず六部とは・・・・
六十六部の略で、本来は全国66か所の霊場に一部ずつ納経するために書写された66部の『法華経(ほけきょう)』のことをいったが、のちに、その経を納めて諸国霊場を巡礼する行脚(あんぎゃ)僧のことをさすようになった。

殺された六部・・・
三浦市三崎警察署脇(国道脇)に「六十六部回国正念上座」と刻った六部の供養等が石祠の中に祀られている。
この碑は「六万本の六部様」といって古くから伝わる悲しい伝説がある。
昔、このあたりは深い谷で樹木が鬱蒼として茂り、杉の木が六万本もあったところから「六万本」という地名があり、当時は人も通らない寂しいところで、里人はしばしば追剥(おいはぎ)や盗賊に襲われていたという。
宝暦三年二月①武州在の江戸四谷に住む寂光という六部が、四国巡礼の途中ここを通りかかったところ、折悪しく盗賊に出会い、丸裸にされて殺されたという。のちに里人はこの六部の死を悼み、寂しい道の傍らに供養塔を建立し、ねんごろに葬ったと伝えられている。
出典 「三浦半島の史跡と伝説」 松浦豊著
①の頃の時代背景
•1752年:フランクリンが電気の実験を行う。
•1754(宝暦4)年:山脇東洋・小杉玄通が日本ではじめて囚人の死体解剖を行う。
•1754(宝暦4)年:薩摩藩が木曾川の堤防工事に着手。

六部供養塔付近(昔はこの付近を六万本と呼んでいた。


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地図番号①・・・・夫婦地蔵 地図番号②・・・六部供養塔
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category: 三浦市

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夫婦地蔵の悲話  



三浦市三崎警察署前の国道沿いに、ほこりを浴びて二尊づつ並んで立つ石の地蔵がある。
この像は、夫婦地蔵と呼んで、戦国の世の悲しい物語が伝えられている。
永正の昔①、三浦道寸義同と北條早雲との合戦の折、引橋に近い六万本の坂道に老夫婦の出す茶店があった。三浦と北條の戦乱に明け暮れて行く頃、北条氏の間者が行きずりの百姓に化けてこの茶店に立ち寄り、いろいろの話の内に、三浦方の様子を聞くので、人の良い老夫婦は笑顔をほころばさせながら、自慢げに新井城のことをすっかり話してしまった。
その後、この百姓に化けた間者は三浦方の追っ手に捕らわれ、これが敵の患者と知れたとき、老夫婦はひどく驚き、良心の呵責に耐えかね、三浦のお殿様に申し訳ないことをしたと、おろかな己を嘆き悲しみ、その罪の償いに心中してしまったと伝えられている。
のちになってこの老夫婦の非業の最期を知った里人は、至極不憫におもい、霊を慰めるため茶店の跡に夫婦地蔵を祀りねんごろに供養したという。
出典 「三浦半島の史跡と伝説」 松浦豊著

①の頃の時代背景
•1510(永正7)年:三浦の乱。
•1516(永正13)年:幕府が大内義興に対明貿易の独占権を認める。
•1516(永正13)年:北条早雲が三浦氏を滅ぼす。


夫婦地蔵前の国道


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地図番号①・・・・夫婦地蔵 地図番号②・・・六部供養塔

category: 三浦市

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