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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年04月29日
2013年04月の記事一覧

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義士塚の怪  


永正の昔、ここは三浦道寸と北條早雲の合戦場であった。
三浦道寸の子荒次郎義意は、弱冠ながら身の丈七尺五寸(約2.47メートル)筋骨隆々として髭あくまで濃く85人力の若武者で、勇猛果敢な振る舞いに誰しもこれに向かう者はなかった。
しかし、これを迎え討つ北條方の先陣に豪勇の誉れ高い若武者四人が勇敢にも三浦勢に立ち向かってきた。しかし、さしも荒次郎義意の奮戦ぶりには近寄れず、北條方の家臣四人は忽ち討たれようとした。
その時荒次郎は敵ながら天晴れな武者振りに殺すには忍びない。今ここで討ち取るのはいと易いがこれほどの人物なら必ず世の役に立つことであろうと、その勇敢を憐れんで許し放免したと言われている。
のちにこの四人は命を助けてもらった荒次郎に、いつかこの恩に報いようと固く心に誓っていた。
その後道寸以下の将兵は油壺の新井城に追い詰められ、荒次郎も悲惨な戦死をとげてしまったことを知り、かっての恩義に深く感じた若武者四人は道寸父子のあとを追って自刃したと言われる。
このことを知った村人達が四人の霊を慰めるため塚を築き祀ったのがこの義士塚であるという。

三浦荒次郎と小桜姫との関係は下記の赤字をクリックしてください
小桜姫との関係

三浦荒次郎父子の像のある寺は下記の赤字をクリックしてください
三浦道寸・荒次郎父子の像のある寺



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category: 三浦市

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路傍にひっそりと六部碑  

六十六部の碑
六十六部の碑の大方は、どんな事情で造立されたか明らかではないが、当時全国の神仏を巡拝することは交通不便な時代には用意ではなかったし、それだけ大願成就の喜びは大きかったのだろう。
しかしこの碑の中には滅罪と病気平癒の誓願を込め、死後の安楽を望みながら、命の灯の消え果るまで回国巡礼をしつづけ、どこかの村で死んでいった巡礼の碑もかなり多く見られる。


三浦市初声町三戸(はっせまちみと)の海岸に近い神田の里の路傍に寂然と斜陽を浴びて立つ六部の供養塔がある。正面には「奉納大乗妙典六十六部塔」左右には「文化甲子年霜月摩訶日」「経営神田五郎吉」t印刻されている。
江戸時代に弘法太師を崇拝する信者で、白装束をつけ笈摺(おいづる)を荷い、一笠一杖で鈴を打ち鳴らし法華経を唱えながら五郎吉宅の前に立ったのは文化元年十二月のことであった。当時は旅僧や巡礼などを親切することを誇りとする習わしがあり、一夜の宿を提供するいわゆる善根宿の慣例があったといわれている。
五郎吉はこの六部を早速家に案内し、その日の宿を供した。そして米や草履を恵み、白衣のほころびなどつくろって接待した。
ところがその夜から、六部は突然の病のため床に伏すようになり数日後看病の甲斐もなく息を引き取ってしまったという。
五郎吉はこの六部の死を悼み、この近くの海岸に六部の装束や鉦などを埋めて碑を立て手厚く葬ったといわれている。
出典 「三浦半島の史跡と伝説」 松浦豊著



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六部塔近くの海岸

哀れな六部へのリンクは下記の赤字をクリックしてください
哀れな六部

category: 三浦市

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