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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年05月05日
2013年05月の記事一覧

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三界萬霊塔  

三界万霊塔とは、路傍や寺の入口、あるいは墓地によくみかけるもので、次のような意味を持っている。三界とは仏教の言葉で、欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の三つの世界をいう。また、過去、現在、未来をいうこともある。これらの世界の霊、この世の生きとし生けるものすべての霊をこの塔に宿らせて祀りするために建てられた塔である。多くは寺の境内や墓地に建てられて、万霊の供養や無縁仏を供養するものとされている。



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聖徳寺  

聖徳寺本堂

六地蔵尊

公郷山大多津院聖徳寺と号し、浄土宗で鎌倉光明寺の末寺である。
本尊は三尊弥陀を安置する。
弥陀は阿弥陀如来、その左右にひかえる脇侍即ち観音菩薩と勢至菩薩の三体の三尊である。
中尊の阿弥陀如来は像高二尺六寸、脇侍の各像高は一尺五寸安阿弥作という。
また千手観音は像高八寸四分、太田和平六の守護仏という。
文和二年(1353)①の草創で開山は静蓮社寂誉という。
開基は永島庄六郎正徳で、現在も当家は聖徳寺登り坂に赤門と称する長屋を保持し、昔から田戸庄と呼ばれて三浦における名高い旧家である。
出典 「三浦半島の仏教寺院と神社」 高木俊雄著

この時代は、南北朝時代で、文和は北朝方が使用した元号である。
特に大きく目立つような出来事はない

赤門へは下記の赤字をクリックしてください
赤門

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日蓮のこもった岩窟  







猿海山竜本寺は日蓮宗金谷山大明寺の末寺である。
本尊は日蓮上人で、この像は房州小湊の誕生寺を建立した中老日家の作という。
日蓮は30歳のとき建長三年(1251)十一月安房に帰り、翌年ふたたび鎌倉に帰る途中、保田の南無谷から船で三浦半島に渡るとき突風が起こり、風波のために小船は木の葉のようにゆれ、その上船底に穴があいて浸水し、大変苦労された。そのうち風波もしずまって公郷村の豊島(今の猿島)に漂着した。
そのとき一匹の猿が現れて道案内をし、それよりこの島を猿島と呼ぶようになったという。
この海底は岩礁が多く船も思うように進まず大変苦労された。このとき公郷村の住民石渡左衛門尉が日蓮を背負って海岸に渡った。
石渡さんはそのときサザエで足を切り血が流れた。日蓮はそれを見てお祈りすると血も止まった。それからサザエの角も無くなったと云い、いまでも米が浜の角無しサザエと言って有名である。
お寺には船底の小穴に吸い付いて海水の侵入を止めたアワビと角無しサザエが宝物として安置されている。
本堂の近くに岩窟があって、この中に日蓮は二十一日間おこもりになり、この間近所の人に御説法をした。人々はさっそく草庵を建てて御浦法華堂と呼んだ。これがのちの龍本寺となった。御浦法華堂はやがて鎌倉の法華堂と合わせて一人の住職に守られてきたが、後に金谷(かなや)に移されて今の金谷山大明寺となった。
龍本寺は大明寺の末寺として弘安二年(1279)に創立された。
出典 「美浦半島の仏教寺院と神社」 高木俊雄著

洞窟は崖を這うように造られている階段を下りたところにある。


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山中に「両面地蔵」  

[

この石の左右に地蔵様を彫ってある



現世と来世の衆生の苦を救ってくれる仏として表現されたもの
出典 「三浦半島の史跡を訪ねて」 横須賀郷土史研究会著
両面地蔵については下記の赤字をクリックしてください
宗円寺の両面地蔵



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