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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年12月24日
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女の恨みは身を滅ぼす・・・鶴が岡八幡一の鳥居  

宝篋印塔(ほうきょういんとう)
puJTioi5d7d8ThE1387880688_1387880702.jpg横から見た写真
鎌倉市指定有形文化財
高さ3.4mを超える、鎌倉市内でも大型の宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、鎌倉幕府御家人、畠山六郎重保墓塔と伝えられます。塔の基礎には「明徳第四 葵酉霜月三 日大願主 比丘道友」と刻銘があり、作風からも明徳四年[1393)造立とみられます。
3EntLRcD0BmiAYs1387880741_1387880753.jpg正面からの写真
この宝篋印塔(ほうきょういんとう)は鎌倉一の鳥居の近くにあるもので、畠山重保の墓と伝えられる。
畠山六郎重保は、土地の人から六郎様と呼ばれている。
重保は頼朝の重臣畠山重忠の息子である。
北条時政の後妻牧の方の娘婿と口論、悪口をいったことから、牧の方に恨まれ、牧の方は時政、義時を動かして重忠を二俣川で、重保を由比ガ浜で討ち取らせた。元久二年(1205)六月二十二日のことである。
実際は、北条家にとって独裁政治の邪魔になる畠山氏を滅ぼす手段であったともいわれている。
タブの大樹が春秋笠となる重保の墓は、いつもきれいに清掃され、供物や供華が上がっている。これは重保が
咳の神様として今も信仰されているからである。
従者三人と由比ガ浜へ逃げた重保は、滑川のほとりで持病の喘息(ぜんそく)がおこった。
川へ下りて滑川の水でのどを潤しているとき、後から襲われて無念の最期を遂げたという。このため人には咳の苦しみを与えまいと、咳の神様になったと伝えられている。

出典 鎌倉・三浦半島 竹村節子著

畠山重忠公関連リンク先 横浜市歴史博物館     埼玉県嵐山史跡の博物館
畠山重保公関連リンク先 横浜市戸塚区

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category: 鎌倉市

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