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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2013年12月29日
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公園に建つ芥川龍之介文学の碑  

公園脇を横須賀線が走る

SCsqXsvFlWENFZB1388311563_1388311582.jpg芥川龍之介文学の碑

TKZ4LVSxZyzQsd91388311678_1388311688.jpg公園入り口に建つ少女

芥川龍之介文学の碑・・・横須賀市吉倉公園
龍之介は、明治二十五年三月一日、東京市京橋区入船町(現、東京都中央区入船町)に父新原敬三、母ふくの長男として生まれ、辰年辰月辰日辰刻の生まれにちなみ龍之介と命名された。
家庭の事情で幼くして入籍した龍之介の養家は本所(現、東京都墨田区領国にあった。このことは「遺された江戸」の面影をとどめる土地柄を通して、彼の個性的成長に見逃せぬ要因となっている。彼はこの地を深く愛惜していたにもかかわらず、”西洋”との出会いは彼を故郷から脱出させることになる。
彼自身の言葉によれば、「中流下層階級」からの脱出を「文学」に賭けたわけである。
「蜜柑」は、彼が横須賀の海軍機関学校教官時代、鎌倉の下宿への帰路、横須賀線内でたまたま出会った出来事を題材にとしている。
横須賀駅を出た記者の中で、ニ・三等車の区別もわからぬ娘が、自分を見送るため待ちかまえていた弟たちに、窓から蜜柑を投げ与えその労に報いた姿をみて、最初にいだいた不快感から一転明るい感動を覚えたことを作品化したものである。
彼は機関学校時代の一時期、横須賀市内汐入五百八十・尾鷲梅吉方(現、横須賀市汐入町三丁目一番地)に下宿していたが、塚本文との結婚で再び鎌倉に移った。機関学校での生活は、時間的拘束や生徒の気風になじめず、彼のいわゆる「不愉快な二重生活」であったようだが、そのためか週末はほとんど田端の自宅で過ごしていた時期もあった。だがそうした感情とは別に、彼は授業に対してはたいへん熱意があり、内容もおもしろく有益なものであったと当時の教え子が述懐している。
昭和二年七月二十四日、龍之介は自ら杯を仰いで一命を絶った。
享年三十五歳であった。

出典 横須賀市

蜜柑
大正八年[1919)短編小説として発表
或曇った冬の日暮れである。私
は横須賀発上り二等客車の隅に
腰を下ろして、ぼんやり発車の笛
をまっていた。
(中略)
するとその瞬間である。窓か
ら半身を乗り出していた例の娘
が、あの霜焼けの手をつとのば
して、勢よく左右に振ったと思
うと、忽ち心を躍らすばかり暖
な日の色に染まっている蜜柑が
凡そ五つ六つ、汽車を見送った
子供たちの上へばらばらと空か
ら降ってきた。私は思わず息を
呑んだ。そして刹那に一切を
了解した。


芥川龍之介

文学碑から転載したものです

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category: 横須賀市

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