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歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2014年02月19日
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飯岡助五郎はここで生まれた・・・横須賀市  

浄蓮寺
「天保水滸伝」で有名な飯岡助五郎すなはち石渡助五郎はここ、横須賀市三春町(浄蓮寺近く)で生まれました。
その頃は三浦郡公郷村山崎といい、助五郎はここで寛政四年(1792)に生まれています。
大力があった助五郎は、名主の永島庄兵衛に相談し、江戸に出て角力(すもうとり)になりますが、一年で廃業、上総国(千葉県)作田浜(現在の九十九里町)で漁師になります。
やがてここから鰯(いわし)のたくさん獲れることで名高かった飯岡浜へ移り頭角を現します。
力が強く侠気ある助五郎は漁師仲間で男を上げ、網元半兵衛の娘すえを妻に迎え船頭となります。
この頃飯岡一帯に縄張りをもっていた銚子の五郎蔵の子分となり、博徒としても売り出し、やがて代貸しをするまでになります。
また義父の半兵衛の援助を受けて三浦屋という網元となり、文化五年(1809)には五郎蔵の縄張りのうち飯岡一帯を譲られて親分ともなります。
博徒と網元という二足の稼業にくわえ、さらに十手捕縄も預かるという三足のわらじを履く親分となり、天保も十一年頃になると名実ともに関東でも指折りの大親分となり、九十九里一帯の大網元となっていったのです。
このように故郷を出てよその土地で活躍した助五郎でしたが、故郷を忘れず異国船の来航では三浦の地に思いを馳せ、公郷村名主の永島庄兵衛に対し、子分百五十人を引き連れてはせ参じましょうと、主だった子分の名を連ねた文化十年(1813)正月の日付のある手紙を送っており、助五郎の強い愛郷心をみることが出来ます。
助五郎はその後安政六年(1859)四月十四日67歳で天寿を全うしました。
墓は現在の飯岡町の光台寺にあります。
飯岡町の玉崎神社には助五郎の業績が刻み込まれた「飯岡助五郎之碑」が建立されています。

出典 横須賀こども風土記 横須賀市民文化財団

UA8hsj5fnnuc6lO1392810521_1392810536.jpg横須賀最古の小学校の一つ
飯岡助五郎の墓はここにあります・・・千葉県旭市
天保水滸伝については葉県東庄町ホームページ


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category: 横須賀市

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