FC2ブログ
歩けば見つかる小さな歴史 ホーム »2014年06月04日
2014年06月の記事一覧

[PR]ウィルス感染注意

今すぐ↓クリックして早めに予防を。 30日間無料体験できます。

楽天市場

忍者キャンペーン

妹救出のために・・・おりょうの武勇伝  

元冶元年(1864)春、三十歳の坂本竜馬は、おりょうさんと恋仲になった。
竜馬は乙女姉さん、乳母のおやべ宛てに、おりょうを次のように紹介している。
「京都医者楢崎将作は、勤皇の志を持ち、頼三樹三郎(頼三陽の子)や梅田雲浜らの同志であったが、安政の大獄で処罰され病死した。
その残された家族は妻一人、娘三人、男子二人であり、長女のおりょうは二十三歳であった。
将作が生きてるころは裕福な生活でしたが、家族はバラバラに奉公に出ることになってしまった。
おりょうの十三歳の妹は美人で、悪党がだまして島原(京都花街)に舞妓として売られた。
十六歳の妹も母親がだまされて、大阪に女郎として売られてしまった。
それを知ったおりょうは、自分の着物を売って大阪に行き、そそ悪党二人と喧嘩した。
おりょうは死ぬ覚悟だったので、飛び掛って悪党の胸ぐらをつかみ、顔を殴り、ふところの刃物に手をかけた。
悪党も「殺すぞ!」といいましたが、おりょうも負けてはおらず「それは面白い、殺せ殺せ」というのでさすがの悪党も根負けし、おりょうは妹を取り返し教徒まで連れ帰してきた。と戯曲風にまとめ、おりょうの武勇伝をつたえている。

竜馬の手前、おりょうは同志や海援隊士から、あからさまには表さなかった、陰で生意気な女とかごうまんな女だと嫌われ、悪い印象をもたれていた。
竜馬の死後、東京に出てきたときも、竜馬の仲間から酷い対応を受け、頼る者もいなかった。

厳しい人間関係の中、おりょうは回顧録の中で「原の底から親切であったのは、西郷さんと勝さん、寺田屋のお登勢の三人でした」と涙を浮かべて語った。

やがて再婚し横須賀市で所帯を持つことになる。
おりょうは明治三十九年一月十五日に息を引き取った。
おりょうは竜馬の妻としての生活はわずか二年であり、再婚後の「西村ツル」としての生活は三十年におよぶ」
それにもかかわらず、坂本竜馬の妻として眠った。
おりょうの遺言で骨は京都東山の竜馬の墓に分骨され、天国に召されることになり永遠の竜馬の妻となることが出来たと思われる。

出典 坂本竜馬とおりょう 湘南海援隊 斉藤秀一

おりょうの墓>へリンクしています
おりょう終焉の地へリンクしています
スポンサーサイト



category: 横須賀市

tb: 0   cm: 2

プロフィール

コメント・メールお待ちしています。

セブンフリーエリア

自宅で注文、お店で受け取り

セブンネット検索

フリーエリアセブン

このブログのQRコード

健康BMI

カテゴリ

貧血防止に

やわた

カラミーショップ

愛犬用のサプリメント

タニタのグッズ

早いもの勝ち

あなたの口臭大丈夫?

家族葬儀のご提案

フリーエリア

フリーエリア

カード作るなら楽天におまかせ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

メールはこちらから

▲ Pagetop