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相州三浦総鎮守・・・・海南神社  

2013011906.jpg海南神社本殿

御神木(公孫樹)
御神木:この公孫樹は鎌倉時代(1192)に、源頼朝公当社に敬神の念篤く祈願成就の記念して寄進せしと伝えられる手植えの銀杏にて、樹齢約八百年なり。

吉田松陰の言葉

相州海南高家神社
祭神磐鹿六雁命は日本書紀第十二代景行天皇が悲劇的な最後をとげた日本武尊、東征の後跡をしのんで、三浦半島から安房上総に巡行されたとき、天皇の料理賄方を司った神様で、わが国における料理の祖神

御祭神藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔である。九州太宰少弐広嗣の五代の孫に当り、五十六代・清和天皇の御宇、皇位継承争いに関係した伴大納言善男の謀挙に荷担しなかった為、讒訴で追討の罪を蒙って筑紫の配所に航する途中、暴風に遭遇して貞観6年(864)十一月一日父子三人、郎党五十三人は当地に着岸した。(公の嫡男の船は房総半島に着岸し、現在の鉈切大明神は資盈公の嫡子を祀ると伝えられている。)
その後資盈公は土地の長に推戴され、房総の海賊を平定し、郷民を教化して特に漁業の知を開き、文化の礎を築くなど福祉に努力したので、郷民の崇拝の念も篤く、貞観八年(866)に公が歿すると、その亡骸を海に沈め、祠を花暮海岸に建立して祀った。後、花暮の祠を本宮として天元五年(982)に現地に社殿を造営し、三浦一郡の総社となる。その後、承応2年(1653)三月、正一位(吉田家神道の宗源宣旨)に進められ、享保四年(1719)三浦半島の総鎮守となる。
御祭神:藤原資盈公 盈渡姫 地主大神

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category: 三浦市

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