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桂小五郎と上宮田海防陣屋  

桂小五郎(木戸孝允は幕末の烈しい中で尊皇攘夷論を一貫し、幾度か生死の中をさまよった維新の英雄であろう。
桂小五郎が、相模御備場の戦士としてこの上宮田の陣屋に到着したのは安政元年(1854)①三月二十六日益田越中(長州藩)を上宮田海防陣屋総奉行が率いる一隊と共であった。時に小五郎二十一歳であった。その前年十二月七日相模警衛の任が決まると小五郎はいち早く手紙を妹の治子の許に「この度相模備場の警備に任じられた。異国船来航の烈しい時元より生死は期していない。いまこそ君恩に報いる時がきた。はたまた父の日頃の教えの如く国のため一命を捧げるつもりである。留守中のことはよろしく頼む」の遺書まで残したという。
ここ上宮田にきてからはペリー来航でだいぶ騒いだあとで嵐の後の静けさか、手持ち無沙汰でもてあましていたらしい。警備の傍ら、激剣や武術に励むが、暇さえあれば酒を飲んでいたらしい。安政二年(1855)三月藩主の許しを得て江戸に勉学のため江戸詰めになることを願い出て、それが許されて上宮田を去った。
出典 「南下浦の歴史探訪記」 浜田勘太著

※ペリーが久里浜沖に来航したのは、嘉永六年(1853)のことである。

上宮田海防陣屋跡については下記の赤字をクリックしてください
上宮田海防陣屋跡

の頃の時代背景
•1854(安政1)年1月:ペリーが軍艦七隻を率いて再び浦賀沖に来る。
•1854(安政1)年3月:ペリーと日米和親条約を結び、下田・箱館の2港を開く。
•1854(安政1)年3月:吉田松陰がアメリカへの密航を企てて捕らえられる。
•1854(安政1)年7月:日章旗を日本国総船印に定める。
•1854(安政1)年8月:日英和親条約を結ぶ。
•1854(安政1)年12月:日露和親条約を結ぶ。



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