FC2ブログ
歩けば見つかる小さな歴史 ホーム » 横須賀市 »日金地蔵像と願海和尚の墓

[PR]ウィルス感染注意

今すぐ↓クリックして早めに予防を。 30日間無料体験できます。

楽天市場

忍者キャンペーン

日金地蔵像と願海和尚の墓  

山門
本堂
六地蔵
中央の白い墓が「願海」和尚の墓

浄土宗光明寺の末寺で、松得山東漸寺と号します。
開基は長島肥後守であるといわれ、本尊は日金地蔵像である。
この像はもと鎌倉雪の下にあった日金山松源寺の本尊であったが、明治初年の廃仏毀釈のさい、鎌倉長谷寺に移されのちこの寺に移安したといわれている。(詳細は別項参照)
この寺は、願海上人の霊場であったところで、本堂横には「願海行者廟所道」という石柱が建っている。
裏山の苔むした古木の陰に、念仏行者願海上人の墓と上人の由来を伝える「願海上人行実」の古碑がある。
碑文によると、上人は尾張の人で、俗名を水野といい、号は昇蓮社峻誉とある。若くして仏門に入り、回国苦行の旅を志し、横須賀市太田和の専養院に寄宿し、神秘を思わせる武山の不動滝で、寒中三十日間の水行を十数年続けたという。いま上人の行場を伝える古碑は渓流の傍に淋しく建ち、上人苦行の往時を偲ばせる。
晩年上人は、村人の懇請により東漸寺の末寺である光泉寺の中興開山となり、安政五年十一月六十五歳の入滅までの三十五年間多くの人々に念仏布教をした

出典 「三浦半島の古刹めぐり」 松浦豊著

横須賀市指定重要文化財 
地蔵菩薩半跏像
この地蔵は別名「日金地蔵」(ひがねじぞう)と呼ばれ、元は鎌倉雪ノ下にあった松源寺(現在廃寺)の本尊であったが、明治初年の廃仏毀釈(明治政府の仏教排斥政策)によって、各地を転々とし、昭和のはじめごろ、本寺に安置されたといわれている。
像は岩の上に上半身を直立し、右手に錫杖(しゃくじょう)左手に宝珠(ほうじゅ)を持ち、右足を左ひざにおく半跏の姿をしている。
造りは寄木造り、玉眼入りで像高一〇三センチメートルである。
身部の金箔・光背などは後で補修されたものであるが、胎内の墨書銘により、寛正三年(1462)に大仏師宗円によって造立されたことがわかる宗円は鎌倉仏師の一人である。
日金地蔵の由来は新編相模国風土記稿によると、治承四年(1180)源頼朝が源家再興を伊豆日金山の地蔵菩薩に祈願し、成功の後、その像を模して造ったのがこの地蔵だといわれている。
このようないわれを残す中世の地蔵信仰を知るうえでも価値の高いものである

<横須賀市教育委員会>

スポンサーサイト



category: 横須賀市

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://sgo0213.blog.fc2.com/tb.php/297-58078e21
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

コメント・メールお待ちしています。

セブンフリーエリア

自宅で注文、お店で受け取り

セブンネット検索

フリーエリアセブン

このブログのQRコード

健康BMI

カテゴリ

貧血防止に

やわた

カラミーショップ

愛犬用のサプリメント

タニタのグッズ

早いもの勝ち

あなたの口臭大丈夫?

家族葬儀のご提案

フリーエリア

フリーエリア

カード作るなら楽天におまかせ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

メールはこちらから

▲ Pagetop