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水戸の御寺・尼僧の寺  

仏殿
英勝寺のあらまし
宗旨:浄土宗
山号:東光山
創建:寛永十三年(1636)
開山:玉峯清因
開基:英勝院尼(大田道灌五代の子孫)
本尊:阿弥陀如来(徳川三代将軍家光寄進と伝えられる)

英勝寺の歴史
英勝寺の地は、古くから亀ヶ谷、扇ヶ谷などと呼ばれてきました。平安時代、ここには源頼朝の父義朝の屋敷が建っていました。しかし没後義朝の霊を祀る亀谷堂に、鎌倉時代の初めには寿福寺に変わりました。
鎌倉幕府が滅ぶと、鎌倉は足利氏の支配地になり、扇ヶ谷は補佐役の上杉氏に与えられました。上杉氏の家臣の太田氏も、上杉屋敷の一角に居を構えました。
しかし、太田氏は道灌のとき、扇谷、山内両上杉氏の対立に巻き込まれ、暗殺され、家は没落してしまいます。文明十八年(1486)のことでした。
大田道灌の死から百年、関東の支配者になった徳川家康は、自分が源氏の血筋であることを理由に、ご先祖の地「鎌倉」の復興に努めました。税を軽くし、鶴岡八幡宮をはじめ多くの神社や寺院の再建を助けたのです。
家康は、また没落した関東の名家の救済にも力を入れました。道灌五代の孫重政も招かれましたが、当時は京都に滞在していたため、妹のお八が代わって江戸城に参上しました。
これが家康の夫人になる奇縁となったのです。
家康の寵愛を受けたお八は、名をお梶とあらため、戦場にまでお供しました。すると、家康軍は連戦連勝、関が原合戦の勝利を祝って、縁起のいい「お勝」の名を賜りました。
慶長十二年(1607)、お勝は一女に恵まれました。しかし、喜びもつかの間、市姫と名づけられた子は四歳で亡くなってしまいました。成人すれば、伊達政宗の嫡男の忠宗に嫁がせる約束までしていたのですが・・・。
そこで家康は、悲しみに沈むお勝の方に、水戸頼房の養育を命じました。25万石の藩主とはいえ、いまだ八歳の少年、お勝の方は、母となって頼房を育て、さらに徳川御三家の一つ水戸徳川家の基礎も築きあげました。
元和二年(1616)四月、徳川家康逝去。お勝の方は出家し、名を英勝院と改めました。それから二十年、還暦に近づいた英勝院は、先祖を供養し、自分の後生を祈るため、寺を開きたいと願いました。
願いは許され、寛永十三年(1636)十一月二十三日、太田家ゆかりの扇ヶ谷に仏殿が完成、翌年には水戸頼房の娘の小良姫が住職として入寺、寛永十五年(1638)には三百石の寺領が許されました。
しかし、英勝寺が本格的な歩みを始めて七年、英勝院は病に臥すことが多くなりました。将軍も直々に見舞い、回復を祈りましたが、その甲斐もなく、寛永十九年(1642)八月二十三日逝去、享年六十五歳でした。
葬礼を機に寺領は百二十石加増され、仏殿一つの境内には祠堂や山門、鐘楼などが加えられ、住職が暮らす姫御殿、その他の僧侶、医師、料理人たちの下御殿、御長屋、代官所なども整えられました

以来、英勝寺は水戸家の御寺と称えられ、三百七十余年の歴史を重ねてきました。
USEVpTt0KjuVfEt1381744547_1381744562.jpg本尊:阿弥陀如来

c8f73ZAh7PpX7B41381744590_1381744601.jpg山門(奥は仏殿)
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category: 鎌倉市

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