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立てば丈六の阿弥陀如来坐像・・・東昌寺  

阿弥陀堂

bWsdwBHUZh_7Ud01383051296_1383051306.jpg木造阿弥陀如来坐像
東昌寺は池子にあるただ一つの寺です。寺の縁起によると今から約六百五十年前に、新田義貞の鎌倉攻めで幕府が滅亡したとき北条高時一族は鎌倉葛西ヶ谷(かさいがやつ)の東勝寺に逃げ込み、寺に火を放ち自殺しました。このときに信海和尚が本尊を火の中から救い出し池子の郷に逃げてきて池子東勝寺を建てたと伝えています。
「鎌倉東勝寺」の寺史を「池子東昌寺が引き継いだわけですがはっきりしたことはわかりません。
本尊の大日如来木造は元禄十三年(1700)の作です。
寛永十四年(1637)になって池子村が、鎌倉扇ヶ谷(おうぎがやつ)英勝寺の寺領となったとき(英勝寺は尼寺で尼僧は代々水戸家からきた)水戸家への配慮から東勝寺の「勝」を改めて東昌寺としました。
境内の阿弥陀堂には、大きくみごとな丈六(じょうろく)阿弥陀如来坐像(丈六とは立つと一丈六尺、「約五メートル」があります。
この像は、源実朝の死を悲しんで、母の政子が仏師運慶に彫らせ、阿弥陀ヶ谷戸(県立逗子高校の奥)にお堂を建て、この像をまつらせたということが語り伝えられています。
寛文年間(1661~1672)に、英勝寺の命令で、この阿弥陀堂を東昌寺の境内に移しました。しかし享保十二年(1727)の東昌寺の火事で阿弥陀堂は焼け、そのとき運慶作と伝えられた像も失われてしまいました。
現在の阿弥陀堂と像は、棟札から宝暦六年(1756)に鎌倉扇ヶ谷の三橋宮内忠文とその息子の幸右衛門、政次郎が再建したことが分かります。

出典 逗子子ども風土記 逗子教育委員会調査部編



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