FC2ブログ
歩けば見つかる小さな歴史 ホーム » 横須賀市 »ペリ来航で活躍の中島三郎介父子の墓・・・東林寺

[PR]ウィルス感染注意

今すぐ↓クリックして早めに予防を。 30日間無料体験できます。

楽天市場

忍者キャンペーン

ペリ来航で活躍の中島三郎介父子の墓・・・東林寺  

東林寺本堂

m6172v2yACWzVNL1384685745_1384685758.jpg本堂内

寺誌によれば、開山は唱阿上人です。しかし「新編相模国風土記稿」には「いにしえは、今の寺院を分かち唱えて二ヶ寺なりしを、大永三年(1523)僧良道合わせ一寺とす。故に此の僧を開山と称す」とあります。
本堂の正面に本尊「阿弥陀如来」が安置されています。実はこの阿弥陀仏の胎内にある、もう一体の阿弥陀仏が本当の本尊ということになります。
さらにこの脇にもう一体阿弥陀仏が安置されています。この仏様は「善光寺式阿弥陀仏」といわれ、長野県善光寺の本尊を模して造られたもので室町初期の作風をよく顕しているということで、横須賀市指定の文化財になっています。
本尊の阿弥陀仏と善光寺の阿弥陀仏を見比べると阿弥陀仏の作風の変遷が見られます。また鎌倉時代の作といわれる市指定の重要文化財「阿弥陀二十五菩薩来迎図」が保存されています。

出典 新浦賀案内記 浦賀地域文化振興懇話会

黒船に最初に乗り込んだ男
浦賀奉行所与力 中島三郎助
浦賀奉行所与力・中島三郎助は、浦賀を代表する人物で、嘉永六年(1853)ペリー来航の際、最初に黒舟使節団との折衝にあたるなど敏腕をみせ、翌年、日本最初の様式軍艦「鳳凰丸」を建造しました。
三郎助は文武に優れ、「大衆帰本塚」の碑文を書き、俳号は「木鶏」と称し、人々から敬慕されていました。
明治維新では、幕臣としての意志を貫き、函館の千代ヶ岡台場で二人の息子と共に戦死しました。
享年四十九歳、父子の墓は当寺ですが、函館中島町に「中島三郎助父子最後の地」の碑があります。

出典 浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ

CCDAbbGP5UWcppI1384685795_1384685811.jpg中島三郎助父子

LEqeMBVjXezTBy51384685529_1384685644.jpg三郎助と英次郎の墓
1LHksateQL4If3w1384685674_1384685717.jpg恒太郎の墓



powered by 地図Z

スポンサーサイト



category: 横須賀市

tb: 0   cm: 1

コメント

はじめまして

いつも興味深く読ませていただいてます。

中島三郎助はペリー来航から箱館戦争まで、幕末の一から十まで
その舞台にいた人物ですから、もっと知名度があってもいいのに
と思っています。
彼は試衛館系ではありませんが、天然理心流の剣術を修めていた
ので、きっと箱館で土方歳三らとも話があったのではないかなぁ、
と想像しています。

お墓の場所、初めて知りました。お参りをしに行きたいと思います。

イッセー #/qX1gsKM | URL
2013/11/18 00:01 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://sgo0213.blog.fc2.com/tb.php/478-e87d6acd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

コメント・メールお待ちしています。

セブンフリーエリア

自宅で注文、お店で受け取り

セブンネット検索

フリーエリアセブン

このブログのQRコード

健康BMI

カテゴリ

貧血防止に

やわた

カラミーショップ

愛犬用のサプリメント

タニタのグッズ

早いもの勝ち

あなたの口臭大丈夫?

家族葬儀のご提案

フリーエリア

フリーエリア

カード作るなら楽天におまかせ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

メールはこちらから

▲ Pagetop