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妻や子も異郷の地で淋しく・・・会津藩士の墓  


墓地への案内を示す道標

ここ腰越墓地には会津藩士及び家族の墓二十三基が存在する。
この歴史は文化七年(1810)藩主松平容衆(かたひろ)が幕府の命令を受けて、三浦半島の海岸警備ならびに台場(砲台)構築の任務にあたったことに始まる。これは当時、漂流民の引渡しと通商を求めて日本沿岸に出没する外国船に対して、鎖国をしていた徳川幕府としては、それら外敵からの江戸城防衛のため、緊急の大事であった。
幕府は多くの大名から敢えて会津藩にこの大役を命じたのは同藩に対する信頼が篤かったためと考えられ、そうした幕府の期待に応えるべく、藩主は直ちに家老西郷頼母をはじめ八百余名の藩士ならびにその家族を同年十一月に送り込んだ。
そして観音崎・浦賀平根山・城ヶ島に台場を構築した。文政三年(1820)十二月にその任務は解かれたが、その間、会津藩士はいずれも一家を挙げて、居をこの地に移して海防の任務にあたった。
彼らにとって、はじめて経験する異郷での十年間にわたる生活は厳しいものであったに違いない。
いま三浦半島の八ヶ所(鴨居西徳寺能満寺走水円照寺など)に存在する墓石がそれを如実に物語っている。
あわせて、我々はこの台場構築という重大な土木工事のために地元横須賀の人々も働いていたことも忘れてはならない。
そして嘉永六年(1853)には、ペリーが浦賀に来航し開国への道をすすむ。
この会津藩士墓地は開国という大きな歴史の流れの中で、江戸湾(東京湾)及び三浦半島を守るために活躍した藩士と幕末の横須賀を知るうえで貴重な史跡である。
横須賀市教育委員会
G3aMKTodBP8M7Uu1386410270_1386410284.jpg墓地内

8SoxFxlOK0zLuLj1386410317_1386410327.jpg会津鶴ヶ城

三浦市にも会津藩士の墓はあります。下のリンクからご覧ください
三浦市会津藩士の墓
三浦市最福寺
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category: 横須賀市

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コメント

はじめまして

はじめまして。
福島在住、赤ベコ日記の和さんです。
横須賀市と会津若松市は、姉妹都市なのですが、
その秘密の一つがわかりました。

またおじゃましますね。

和(赤ベコ) #fkxczLn. | URL
2013/12/09 20:12 | edit

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