FC2ブログ
歩けば見つかる小さな歴史 ホーム » 鎌倉市 »山門の欄間に「クルス紋」が・・・光照寺(北鎌倉)

[PR]ウィルス感染注意

今すぐ↓クリックして早めに予防を。 30日間無料体験できます。

楽天市場

忍者キャンペーン

山門の欄間に「クルス紋」が・・・光照寺(北鎌倉)  

光照寺四脚門
西台山英月院光照寺 時宗
弘安五年(1282)三月、一遍上人が鎌倉入りを果たそうとして、折から山ノ内に向かう北条時宗の一行と出会い、時宗の供の武士に追払われて阻まれ、一遍一行がやむなく山中に野宿し、念仏をして一夜を明かした法難霊場の地といわれる。その際、鎌倉の僧俗の人々が食物を持って一遍らを訪ね供養した。
一遍一行は時ならぬもてなしを受けてすっかり疲労を回復することが出来たといい、翌日には片瀬の館の御堂のち浜の地蔵堂に移って念仏法門を広めたといわれる。
帰依の貴賎直俗が群集し、紫雲橘が降りはじめるなどの奇端が続いたという。
この浜の地蔵堂跡がこの史跡の標識の立っている場所と伝えられる。
開山は一向俊聖で弘安十年(1287)頃までに創建と伝える。
本尊は阿弥陀如来立像
山門の四脚門は東渓院から移建されたものといい、内側の中央頭上に掲げてあるクルス紋は珍しい。門には「切支丹遺構くるす門」と記された小さな木札がかけられているが、山門のそれはレプリカで、本物は本堂外陣の正面頭上に掲げられている。
東渓院そのものは直接キリシタンと関連があるわけではなく、クルス紋は東渓院の開基豊後の国岡藩主中川氏の紋所で中川久留主と十字架の一種である。
中川氏は天正十一年(1583)賎ヶ岳(しずがだけ)で戦死した摂津の国茨木を領した中川清秀を始祖とするが、戦国時代に摂津はキリシタン信仰が盛んで、中川氏も当初信仰する時期があってクルス紋を用いたと思われる。
しかし徳川幕府からの疑いを避けるため「轡紋(くつわもん)」として説明したと思われる。

出典 深く歩く鎌倉史跡散策 神谷道倫
h1zjumA3Cy1S23c1388743551_1388743565.jpgクルス紋

AUzBCprCR45NbPY1388743638_1388743649.jpg本堂

TeefgnVYI90KDhU1388743595_1388743605.jpg本堂内部

A1TrHuXlhm_wEaT1388743698_1388743713.jpgこそだて地蔵

スポンサーサイト



category: 鎌倉市

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://sgo0213.blog.fc2.com/tb.php/524-286bc45a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

コメント・メールお待ちしています。

セブンフリーエリア

自宅で注文、お店で受け取り

セブンネット検索

フリーエリアセブン

このブログのQRコード

健康BMI

カテゴリ

貧血防止に

やわた

カラミーショップ

愛犬用のサプリメント

タニタのグッズ

早いもの勝ち

あなたの口臭大丈夫?

家族葬儀のご提案

フリーエリア

フリーエリア

カード作るなら楽天におまかせ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

メールはこちらから

▲ Pagetop