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スペイン人宣教師を救った三崎奉行・・・三浦市  

dkn4Ok9DiLIoYyW1403943160_1403943171.jpg見桃寺
キリスト禁教令から二百九十年間、徳川幕府の弾圧、迫害にもめげず、巧みに奉行の眼をそらした信徒が、あらゆる礼拝物を仮托しつつ、ひそかに信仰の祈りをささげた遺物が三浦半島の各所に見られる。
慶長十三年江戸と伏見に修道院が再興されたときフランシスコ派の人々によって、江戸を距てた小港東浦賀須崎(横須賀市)の山の手に按針屋敷や修道院が建てられたことが伝えられている。こうして浦賀には按針屋敷が修道院を必要とするほど。多くの南蛮人や船の往来がひんぱんであったことがうかがわれるのである。
こうした情勢も慶長十七年には、幕府が切支丹布教を禁止したことにより、修道院は廃止され、異国船の入港、貿易は長崎に決められ、浦賀はこれらの船も人もみられなくなってしまった。
こうした時、江戸を中心に布教していたスペイン人でフランシスコ会士日本布教長であったディエゴ・デ・サン・フランシスコは宣教中に捕らわれ入牢していた。
そのとき三崎船奉行向井将監忠勝は、これはいたずらに信徒を憤激させるのみであると、時の将軍に申し入れ、彼を処刑から許して牢から出したという。
そして秘密裡に向井の屋敷に泊め、夫人を側に坐らせ、三人一緒で食事をし大歓待したということである。
そして一子息まで洗礼受けさせたほどの切支丹の保護者であったといわれている。
後日になってディエゴは、残酷な死刑から助けられ許されてメキシコに帰ることになったが、向井将監は親切にしてやったディエゴとの夜の宴会によって、メキシコ国王と貿易の斡旋をとりなしてもらうことを依頼した。
そして元和二年(1616)九月三十日宣教師がメキシコへ帰国するとき、多数の信者が訣別のため集まり、悲嘆と号涙のうちに再び(日本に)帰ることを約束して日本を離れたのである。
しかしその帰国の航海途中に船は湿気にあい、四人の水夫まで流されてしまったという。日本人の水夫は真水がなくなったため海水を飲み、体が腫れて病気にかかり死んだものが多くあったという。
困難な航海が続きようやく五ヶ月後にアカプルコの手前バンデラス港に着岸したのである。
そして一同はメキシコ副王を訪問し、向井将監との貿易の話しをしたところ副王はすべてを聞き入れて約束を果たしたという。
その後この宣教師は再び日本に上陸し、山形県で宣教中に捕らわれ長崎に送られて殉教した(一説には行方不明になったとも言われる)
向井将監忠勝の墓が三浦市見桃寺にあります

出典 三浦半島の史跡と伝説 松浦 豊

oSw2l5xVhCP1Dq21403943198_1403943209.jpg向井一族の墓

一族の墓の説明(三浦市ホームページ)へのリンク三浦市ホームページ
向井将監についてwikipediaへのリンク;wikipedia
再来日後のディエゴ・デ・サン・フランシスコへリンク山形で布教活動

見桃寺は他の大椿寺とともに三崎三御所といわれています
大椿寺へのリンク;椿の御所
本瑞寺へのリンク:桜の御所
見桃寺へのリンク:桃の御所

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