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こうして鎌倉尼五山第一位太平寺は廃寺となった・・・・太平寺(鎌倉)  

この物語は、前回の「かっての鎌倉尼五山の第一位だったが・・・」の続編です 
太平寺創建の時期は大休正念が仏殿供養を行った弘安六年(1283)前後の頃とされる。

弘治二年(1556)、里見義弘が鎌倉に攻め込んだ折、時の太平寺住持青岳尼(しょうがくに)と本尊の聖観音立像を奪って安房(千葉県)に去り、青岳尼を還俗させ妻とした。
第三者の目からは信じがたい狼藉と映るが、青岳尼は古河公方足利政氏の子義明の娘で、幼い頃里見義堯(よしたか)の子義弘の婚約者であったということを考慮すべきであろう。
鶴岡八幡宮別当であって足利義明は、上総(かずさ)の勢力の要請を受ける形で下総(しもうさ)の国小弓(おゆみ)城に拠り小弓御所と呼ばれていた頃婚約は成立した。
無論、父親同士には政略的な意味もあり、事は順調に運ぶはずであったが、翌天文七年(1538)十月下総国府台の合戦で義明はあっけなく敗死してしまう。
義明の遺児のうち生き残った瀬純は里見氏に保護されたがその他のニ女子はおそらく小田原北条氏の手により尼とされ姉は太平寺、妹は東慶寺に入れられて、それぞれ青岳尼、旭山尼として住持となった。
青岳尼の婚約者であった義弘はその後正妻を迎えることはなかったといわれる。
弘治二年(1556)三月、三浦半島に渡る機会を得た義弘は小田原方の手薄に乗じ、ためらいなく鎌倉太平寺に馬を馳せたものと思われる。
十八年ぶりの義弘との再会に青岳尼がどのような思いであったかは知る由もないが、還俗して義弘の妻となって安房(あわ)に去ったことは事実である。
義弘軍は小田原勢に追撃され、撤退に際して太平寺の本尊も安房に持ち去り、これが原因となって太平寺は廃寺となった。

出典 鎌倉史跡散策 神谷道倫

青岳尼供養塔は下記赤字からリンクしています
たてやまフィールドミュージアム
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category: 鎌倉市

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