外敵防御の第一線・・・・・引橋

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引橋

横須賀市の衣笠城を中心にして栄えた三浦一族は、三浦義澄の孫泰村が、時の執権北条時頼と仲たがいとなり、いわゆる宝治合戦がおこり、一族は滅びましたが、義澄の弟佐原十郎義連の系統が残り、その後、盛時から八代目の時高が永享10(1438)年、新井城を油壺に構築し、本拠地を三浦に移しました。
この時高は世継ぎの問題から、養子の義同と争い、明応3年(1494)新井城で自殺するに至ったとの説がある。
三浦の城主となった義同は、当時小田原を根拠とした北条早雲の勢力と対決、平塚市伊勢原市の両市にまたがる岡崎城、逗子市小坪の住吉城と各支城で敗退、、最期は頼みを新井城に託して守りを固めました。
ここ引橋はそのときの大手、つまり外敵防御の第一線であったと言われ、谷間に橋をかけ渡し、敵が攻め寄せたとき、その橋を引いて防いだところから、引橋の地名がおきたと伝えられます。(
三浦市)


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