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江戸城三大刃傷の一を引き起こした父子の供養塔はここに・・・慶珊寺  

慶珊寺
横浜市富岡八幡宮に近いところに慶珊寺はある。
寺を創建したのは豊島秋重公。豊島公といえば武蔵国に一大勢力を張った豪族であったが、室町時代に大田道潅との戦いに敗れ、四百年以上にわたり支配した所領のすべてを失い没落していた。
かっての名門豊島氏に、ようやく日の当るときが訪れた。
後北条氏が滅亡し、家康が関東に入国して間もない文禄三年(1594)、秋重は家康から召しだされ旗本に列せられたのである。戦死した父頼重の戦功もあって富岡郷(横浜市金沢区)に千七百石の領地を賜った。時に秋重十六歳であった。
孝養心の篤い秋重は、両親の菩提を弔うため花翁山慶珊寺(かおうさんけいさんじ)を建て、また領内の繁栄を願って富岡八幡宮の社殿を造営するなど領民から篤い信望を得ていた。
そんな平和の続く寛永五年(1628)、降って湧いたような大事件が起こった。こともあろうに、秋重自身が江戸城内で老中・井上主計頭(いのうえかずえのかみ)を殺害したのである。
ことの怒りは、今をときめく老中・井上家の長男と、大阪町奉行・島田家の娘の縁談であった。仲人の労をとったのは秋重である。
ところが、いよいよ婚儀の日が近づいたとき、井上家側から今回の話はなかったことにする、と一方的に破談を申し入れてきた。
しかも井上家では山形の二十二万の大名・鳥居家の娘を迎えるというのだ。
仲人として面目は丸つぶれとなり、納まらないのは秋重である。井上を問い詰めるが「上意である」と言い逃れをするばかり。この裏には大奥で強大な権勢を振るっていた春日局(かすがのつぼね)の意向があったらしいのだ。
秋重は、武士としてあるまじき井上の二枚舌と、将軍の威光を傘に上意をかざす理不尽な横やりに激昂した。そしてある決意を固め、妻子にはひそかに意中を打ち明けてあった。
運命のときが訪れる。八月十日、秋重は西の丸殿中で井上に出会うや「武士に二言はないはずだ!」と絶叫し一気に井上を切り伏せた。城内はたちまち大混乱となる。
止めに入った小姓を振りほどき、秋重はもはやこれまでと太刀を逆さに持ち替え自分の腹を刺し貫いた。
その四日後、息子の継重(十四歳)も連座して切腹を命ぜられた。
ここに名門豊島家は断絶となったのである。
江戸城内での刃傷といえば、この豊島事件から五十六年後に若年寄稲葉石見守が、大老の堀田筑前守を殺害した事件、さらに十七年経った元禄十四年(1701)、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介にきりつけた松の廊下z件がある。
出典 ぶらり金沢散歩道 楠山永雄
井上主計頭の墓については、本ブログリンク先「掛川市」を見てください
tK0WmQkESGPryUS1416822401_1416822411.jpg豊島父子の供養塔






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