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逸話の残る甘縄神明社  

甘縄神明社
「神明様」と呼ばれている甘縄神明社は、鎌倉開府以前からの古い神社で、言い伝えによれば由比の長者染谷太郎太夫時忠が創建したということです。
「吾妻鏡」に「伊勢別宮」とあるのは、この神社のことで天照大神を祀ってあるのでこの名があるわけです。
甘縄の由来については「あまなう」(協調する。甘んじて受ける)の意味だとする説、縄入が甘い(検地がきびしくない)との意味とする説・「海人縄」(漁夫の地域)の意味だという説など色々ありますが、いずれも定説とはなっていないようです。
ご神体は八幡太郎義家が自分の守護神を納めたと伝えられています。
そうした由縁があるからでしょうか、頼朝はたびたび参詣していますし、政子も実朝も参詣しています。
rV1vv1PrnXZOfZX1418030905_1418030914.jpg安達盛長邸跡
神明社の下、東側のところに伊豆の頃から頼朝に仕え、挙兵にも功あった老臣、安達盛長の邸があり、頼朝はよくこの邸を訪ねています。
二代将軍瀬家が、盛長の息子景盛の愛妾を奪い取った上、景盛を討とうと兵を向けたとき、政子からその無法をきびしくしかりつけられ、しぶしぶ兵を引いた話は世に知られていますが、これも甘縄を舞台にした話の一つです。
この景盛の娘が北条時頼の母松下禅尼で、彼女が障子の切り張りをして倹約を教えた話は有名です。松下禅尼の教え
安達景盛は時頼と計って三浦一族を滅ぼし(宝治合戦)、大いに権勢を伸ばしましたが、次第に権力を誇り、横暴な振る舞いをするようになったためついに弘安八年(1285)十一月、執権北条貞時によって安達一族は打ち滅ぼされ、永続いた甘縄の邸も焼き払われてしまいました。
出典 知られざる鎌倉 沢 寿郎
宝治合戦についてはブログ「鎌倉の石塔・周辺の風景」にリンクしています。宝治合戦→クリックしてください。
53k9J8Zue_P5pFq1418030857_1418030874.jpg北条時宗公産湯の井戸(本殿に昇る階段脇)
北条時宗は安達邸で生まれ育ったといわれます。





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2014/12/11 11:37 | edit

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