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そろそろ赤穂浪士の時期ですが・・・称名寺  

若い人達は「赤穂浪士」を知ってるんでしょうか・・・・
今回は川崎市称名寺に伝わる「赤穂浪士」の隠れ家について紹介します。
GLLUzUk_wO7fSos1418376430_1418376458.jpg称名寺山門

VPYZ7ziTdolSJD01418376489_1418376498.jpg称名寺本堂

QbZoESvadlqWqLQ1418376526_1418376536.jpg山門脇の石碑
JR南武線(川崎-立川間)鹿島田駅から徒歩10分近くのところにこのお寺はあり、門前には写真のような碑があって、赤穂浪士の隠れ家の伝説がある。
元禄の頃、このあたりに軽部五兵衛がいた。
五平衛は、江戸の鉄砲洲にあった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の屋敷へ出入りして秣(まぐさ)を納めたり下肥をとったりしていた。
そして、堀部弥兵衛、大高源吾らと親しくなっていた。
元禄十四年(1701)三月十四日、かの殿中刃傷事件がおき浅野家は断絶、家臣は浪人の身となって投げ出された。
いく月かたった或る日、堀部弥兵衛、大高源吾、富森助右衛門が五兵衛に浪士の隠れ家を求めてきた。
五平衛は快く引き受けた。また五平衛と親しい平間村の大工、喜右衛門は浪士のために五両という破格の安値で家を建てた。
元禄十五年(1,702)十月七日、京都山科にいた大石良雄は、名を垣見五郎兵衛と変えて江戸に二十六日に五平衛の隠れ家に入った。
十一月四日夜、別れの宴が称名寺で開かれ、大石良雄は五平衛にひと振りの太刀を、富森助右衛門は大工の喜右衛門に銀の*銚子を贈った。

出典 神奈川の伝説 永井路子・萩坂昇・森比佐志
*銚子塚については、次回で紹介します。





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コメント

まさに「歩けばみつかる小さな歴史」ですね。

若いころ、職場が小向にあり、古市場に住んでいました。
当時は歴史にはあまり興味が無く、この寺のことも知りませんでした。
歩けばすぐの距離にあったのに、と今では残念な気持ちです。
まさに、「歩けばみつかる小さな歴史」ですね。

sausalito #- | URL
2014/12/16 19:41 | edit

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